ことりのかけら

発見したこと気づいたことを発信中~帰国生・凸凹発達の教育情報も~

子どもの詩を読む

私の趣味(?)の1つに子どもの詩を集めることがあります。

その中のいくつかを紹介したいと思います。

「やさい」

おかあさんが
わたしが やさいがきらいなので
たべないと あたまのいいこにならないと
いつもいっておこります
おかあさんは やおやなので 
あんなことを いうのです

だって おとうさんは やおやなのに
あたまのいい人とは おもえません
せんせい
ほんとうに やさいをたべると
べんきょうが よくなるんですか
わたしは せんせいのいうことだけを ききます 

 

「かあさん」

かあさんはせんたくすきや
あさもよるもせんたくする
そやけどいつもぶつぶつゆうて
せんたくする
ぼくらがよごしてばっかりやという
こころでありがとうおもうとうのに
そんなこというから
くちでありがとういわれへん
これからつめたくなる
きをつけてしもやけにならんとってや
これもこころでいうてるだけ

「1年1組 せんせいあのね」 鹿島和夫・編 理論社 より 

 

「やさしくいってね」

 

おかあさん おこるとき

「やめてくださいね」って

やさしくいってね

そうすれば 「はい」 ってやさしくいうよ

ーーーじゃあ そういうことに するからーーー

おかあさん

そういう 「じゃあ」って 

いっちゃいけないよ

『おひさまのかけら』 「こどもの詩」20年の精選集 川崎洋編 中央公論新社 より

  

「チューインガム一つ」

せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいことした

わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
一年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた
きっと かみさん(神様)が
おばさんに しらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるねん
わたしが一年生の子に
「とり」いうてん
一年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いやや いうた

一年生の子がとった

でも わたしがわるい
その子の 百ばいも 千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつからへんとおもったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわい おかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうな おかあちゃんのかお 見たことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」
おかあちゃんは なきながら
そないいうねん

わたしひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくとこあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて
なんにも かんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいに おかあちゃんにあやまってん
けどおかあちゃんは
わたしのかおを見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろ

もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしょう
(灰谷健次郎 「わたしの出会った子供たち」角川文庫より)

 

岡本太郎は、次の詩を読んで 「この子の怒りを美しさとして とらえることができますか?」と言ったそうです。

先生だった灰谷さんは、何日間も この詩の作者の子に謝り続けたそうです。

「先生」
おれ もう先生きらいじゃ
おれ きょう 目だまがとびでるぐらい
はらがたったぞ

おれ となりの子に
しんせつにおしえてやっていたんやぞ
おれ よそみなんかしていなかったぞ

先生でも手ついてあやまれ
「しんじちゃん かんにんしてください」
といってあやまれ 
(「わたしの出会った子供たち」灰谷健次郎著)より)