ことりのかけら

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好きで好きでたまらないことを追求する魅力~自閉症スペクトラムのエレベーターマン動画サイトで収入~

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凸凹発達で、社会の中で生きにくさを感じている子どもは、将来どのような道にすすめるのだろうか、親は悩みます。母親があれこれ先走って考えて、用意して、導いて……ということはしたくない、そう思っています。本人が自分で決めた道を歩んでほしいから。(しかし、そう思ってはいるのですが、ついつい気づくと先回りして、子供が失敗しないように準備したり、親が思う方向にお膳立てしようとしては、反省しています)

 

先日、ある男性の動画を見つけました。Andrew Reamさんという方が、男の子にエレベーターツアーをしているものでした。

男の子は、エレベーターが大好き。(自閉症スペクトラム)

お母さんがエレベーターツアーのことを知り、連れてきました。

「このボタンを押してごらん、エレベータが閉まるよ。次はこのボタン……。」「このエレベータはね、constant-pressure control 方式といってね、動かすためにはボタンをずっと押し続けなきゃいけないんだよ。」などと説明しています。

 

実は、アンドリューも自閉症スペクトラム。3歳のころからエレベーターの開閉の魅力にとりつかれ続けています。

幼少期、彼は3歳になっても言葉はありませんでした。

4歳間近のある日、「みて、お母さん、ああそこのPhillips 66(ガソリンスタンド)のところでオレンジ色のトラックがガソリンを入れているね」とお母さんに話しかけたそうです。初めての言葉がこの長文。あまりの衝撃にお母さんは動けなくなりお父さんに迎えにいてもらったというエピソードあり。

 

小学校に入学するころには行動がそれはそれは多く、投薬もされていたし、多動や強迫性障害もでていました。学校でも数々の問題を起こし何回も転校を余儀なくされたそうです。

最終的に障害を持った子供専門の私立の学校にたどり着きます。友達から「馬鹿なアンドリュー」と言われて続けた彼が、大学までいく青年に変えてくれた学校でした。

 

2006年からYoutubeに投稿を始め、2300以上の動画をアップしているそうです。動画視聴回数は4100万回以上。

ある時、エレベータを好きな人は自分の他にもいるということに気付いたそう。

動画作成は、エレベータだけにとどまりません。彼にはほかにもずっと興味を持ち続けているものがありそれらに関する動画も作成しアップしています。(蛍光灯、南京錠、電車)

 

普段の生活は、至って普通。職業はノーフォーク・サザン鉄道の車掌さん。

コミュニケーションが得意でない彼は、動画作成を始めた頃は問題を起こしました。どこでも撮影を始めてしまい、周りにいる人たちを困惑させたり、気分を害させたり。しかし、今は「何事も許可を取ってから」と学んだとのこと。

今では、動画を見た子どもの親から感謝のメールが届くそうです。

ニュースで紹介されていた動画を張っておきます。(後日、動画内容を別記事で、アップする予定)

 

www.youtube.com

 

彼は、一般就職をして働いていますが、この動画での収入もそれだけで生活していけるほどあるとのこと。

 

その人だから、できること。 とにかく好きで好きでたまらないものがある人は強いなと改めて思います。

「高校生の娘にピアスをOKするかどうかバトル」から2年

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娘が高校生の時、「ピアスの必要性についての口論〜ピアスあけたい症候群との戦い〜」という記事を書きました。

校則のない多くの生徒がピアスを開けている高校に通っており、高校生のうちにピアスをしたいという気持ちが高まっていて、それに反対する私、まあいいんじゃない?という父親をはじめとして、知人や親せきは賛成・反対の両方とも同じような数がいました。

その高校生だった娘ひなは、大学生になっています。

成人したら好きなようにしていいということにしたのですが、本人それには納得しませんでした。高校生のうちに開けたい、大学生になる前には(春休み)開けたい、と親子バトルを繰り返していました。 

父親は「いいんじゃない?」ともともと賛成派。私は、何かあったときが心配で反対でした。私は肌が弱いし金属アレルギーの気があり肌に金属をつけることが好きではありません。親子だからもしかしたら似たような状況になるかもしれないと思ったことも反対した理由でした。

結局、高校3年でもない、20歳でもない、その真ん中の「19歳」で折り合いをつけることなりました。 「ピアスを開ける場所は、皮膚科」ということだけは守ってもらいました。 

現在、娘はピアスを付ける楽しみ、選ぶ(ショッピング)楽しみを満喫しています。

この件に関して、周りの方々が意見や助言をしてくれました。

面白かったのは「この人は賛成だろうな」「この人はピアスなんかやめておきなさい、というだろうな」という予想に反して、人々が個人個人で意見を持っていたことです。

 

いつも真面目な意見をいうタイプの人が「いいじゃない!おしゃれしなよ」

おとなしいタイプのご婦人が「ひなちゃん!お父さんお母さんにばれないように、隠れてさっとあけちゃいなさいよ」

普段、娘の話をなんでもうんうんと聞いてくれる 方が「絶対だめ!ひなちゃん、お願いだからピアスなんてしないでね」

 

現在は、ピアス戦争の嵐は過ぎ去って、そんな時もあったなあ、と思い出しています。

やはり私自身はピアスをこれからもしないだろうし、夫は「いいんじゃない?」と言い続けるのでしょうね。

今もどこかのご家庭でことり家であったようなピアス論争があるのかもしれないな、と思いつつ記事を書きました。

発達障害保護者にとって、専門家の支援の言葉さえもが刺さって痛い時がある

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発達障害がメディアで特集を組まれたり、取りあげられたりすることが多くなっているように感じるのですが、興味関心があるからそう感じるのか、どうなのでしょう。

特集では、当事者の大変さや得意や不得意、上手くやっていくための方法などを紹介されていることが多いですよね。また、保護者や家族など周りの人の対応方法もよく質問されていて専門家が答えたりしていることが多いと思います。

こういう番組を観て感じることは様々。内容によっても変わりますが、その時の自分の状態によっても番組の受け取り方は違ってくるなあと感じています。

専門家に相談する前、専門家の支援を受け始めた時、1年後、3年後、5年後、10年後……。

 

私は当事者の親として、自分の子どもが幼児の時からずっとそばにいます。(親になる前は、自分が当事者の親になると思わずに当事者支援に仕事をしていましたが、凹凸っ子の親になるということは、支援とは全く別の次元だと実感しました。)

今回、私個人の感じたことを少し綴ってみようと思います。(他の保護者のみなさんとは違う感じ方をしているでしょう。これはあくまでも一個人の考えということで読んでいただければと思います。)

一般的な発達と異なるルートで子どもが大きくなっている。まわりの子と違う。上の子の時と違う。子どもの育ちを心配して、サポートが欲しくて、親は専門機関に足を運びます。

最初の頃は、本当にがむしゃら。毎日、何かをしなくては、教えなくては。専門書を読みあさる。専門家に相談する。仕入れた情報を参考にして家庭では、知恵と忍耐を振り絞って子どもと向き合う。 でも、スパルタにならないように、子どもが楽しい状態で成長できるように、母親はニコニコゆったり笑顔で……。

子どもはぐんと伸びるときもあるし、あまり変化がないときもある。

サポートしてくれる専門家の先生たちは、こう言います。

「ことりママ、すばらしいですね。いいお母さんをしていますね。お子さんのことをいつも考えてたくさん勉強されてますね。いろいろ経験させていますね。」

先生たちは、応援している気持ちを伝えようとしてくださっているのでしょう。わかります。

でも、こういう毎日がずーっと続くと、(私の場合は)もうずっごく疲れてしまいます。いつもいつもずっと頑張っていると、糸がプツンって切れてしまう。

あー、ただボーッとしたい。なんの心配もない世界に行きたい。 授業参観で自分の子どもをドキドキしないで眺めてみたい。ってね。

 

定型発達のお母さんでも、学業成績やスポーツ・芸術の成績などで、子どもの出来不出来親の点数をつけられていると感じることがあると思います。

でも、凹凸発達の子どもの親の場合、その回数が数倍増してくると感じます。

理由の1つは、関わる専門家の数が増えるから。

専門家の先生たちの言葉が、それが共感言葉であろうと誉め言葉であろうと、心に重くのしかかってきてしまう時があるんです。

その言葉は、面と向かってコメントされることもあれば、ほかの保護者のことが話題に上っているのを耳にするということもあります。

どちらにせよ、「お母さん度採点」の言葉。

 

 例えばこんな感じの言葉たち。

○○君のお母さんは、子ども対応に愛がありますね。

○○ちゃんのお母さんは、パニックの時ずっと笑顔で待っていた、すばらしい。

○○くんのお母さんは、専門的に勉強を始めたらしい。熱心ですね。

または、

○○くんのお母さんは、そのままの彼をすっかり受けれて愛している。なんて素晴らしい。

など。

 

こういう言葉が気になってしまう。

とりあえず、専門家や他人の前では、いいお母さんを演じなくては……となってしまいます。 演じるのは簡単です。何年も凹凸の子と一緒にいれば、どういう対応が専門家の人に受け入れられるかは、わかります。

 

そして、言われるわけです。

「ことりママって、すごいですね。」「よく頑張ってきましたね。」って。

いえいえ、私は演じてるだけです。全然すごくないんですよね。

 

実際は、子どもが調子の良し悪し、親の調子の良し悪し、いろいろな時があります。

確かに子どもは成長する。親だって少なくとも経験は積んでいく。親として子どもの成長が感じられて嬉しい時もあるけれど、足踏みしているように感じるときも多い。

そんな毎日の歩みに、点数をつけられていると感じるとつらいものです。

専門家の先生たちは、サポートしているつもりで、親の気持ちを理解しようというつもりでいろいろ話をしてくださるんでしょう。けれど、なんだろう、称賛や共感の子ど場でさえも、チクチクと心に刺さってしまうときがあるんです。知らなうちにできた擦り傷のように痛むんです。

 

演じなきゃいいでしょ、っていう話なのかな。なんでも、包み隠さずにそのままを伝えられる人間だったら私のように感じたりはしないのかもしれませんね。

 

この記事を書いた理由も、専門家にこうして欲しい、とかいうことがあるわけではないんです。 ただ、凹凸発達の子どもの親で、こんな風に感じる人もいるっていう発信をしたかったんです。

人と関わっていくのって本当に難しいなって思います。 親と専門家もそうですし、親同士、子ども同士、そして親子。 

 

成長の曲線は、らせん階段のように、ぐるぐると道草をしているように見えながら、ゆっくり上昇すると聞いたことがあります。 

誉め言葉や共感の言葉までも、時にチクリと刺さるように感じることも、らせん階段をのぼっていくうちに、少しずつ気にならなくなるといいのにな。

 

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